前橋のキャッチフレーズは水と緑と詩の街

自然あふれる住みやすい前橋の様々な情報をご紹介します。

前橋の産業

江戸時代後期に横浜港が開港されて以降、前橋市は長らくの間優秀な質を誇る生糸の生産地として栄えてきました。明治維新後には前橋市内に日本初の機械製糸工場が建設された他、多数の機械製糸工場の建設が進められ、水に恵まれた土地柄と養蚕(ようさん)農家が多く繭の調達がしやすいことから全国でも有数の生糸の代表的産地となりました。生糸の輸出高も多く、特に明治末期には数千人の工女が働らく工場もあった程です。

1945年(昭和20年)8月に戦災

その後1929年(昭和4年)の世界大恐慌や1939年(昭和14年)の第二次世界大戦、1941年(昭和16年)の太平洋戦争の多大な影響により生糸の輸出が途絶えます。同時期に絹に代わる品としてナイロンが発明されたことにも打撃を受け、日本の養蚕業の衰退と共に前橋市の養蚕業も衰退していきました。

繁栄と衰退の変化の中、1881年(明治14年)には前橋市に県庁が置かれ、1892年(明治25年)には、県内初そして全国で41番目に市制を施行し、現在の前橋市の発展の基礎が築かれます。大正時代には、農耕地の区画整理が行われ、昭和に入ると上下水道も整備されますが、1945年(昭和20年)8月に戦災を受け市街地の8割を消失します。

首都圏都市開発区域

これを受け戦災復興事業を施行し復輿の計画を進めながら、1960年(昭和35年)には、生産都市への転換を目標に「首都圏都市開発区域」の指定を受け多くの工場を誘致することになります。
現在は、食品や飲料関連の企業が事業展開している他、市内各所に電気産業や輸送関連など多岐に渡る産業種による20弱の工業団地を抱え、年間を通しての製造品出荷額は群馬県内第3位になっています。2014年(平成26年)には、中小企業の発展とよりよい市民の生活をを目指すための「前橋市産業振興ビジョン」も策定されました。