前橋のキャッチフレーズは水と緑と詩の街

自然あふれる住みやすい前橋の様々な情報をご紹介します。

前橋の歴史

「水と緑と詩のまち」として知られる前橋市の歴史は大変古く、旧石器時代から人が住んでいたとされています。前橋市の北東部や西部には、熊の穴遺跡や大久保遺跡などをはじめとする1万年前ごろに始まったとされる縄文時代降の遺跡が多数あり、当時使用されていた竪穴式住居や土器など貴重な遺物が発見されています。
国造(くに の みやつこ)と呼ばれる豪族による地域支配が始まったとされる2~3000年前ごろの弥生時代には、多くの古墳が造られました。

前橋の古墳

最も古いといわれている天神山古墳、末期の古墳・宝塔山(ほうとうざん)古墳などの他にも多数の古墳があり、その総数は800基前後にも及び中には巨大な古墳もあります。
奈良時代になると、現在の前橋市元総社のあたりに当時の地方行政区分として上野国府(こうずけのくに)が置かれ「東国の奈良」と呼ばれるほど政治的に繁栄しました。平安時代末期から鎌倉時代、室町時代初期の前橋は戦乱に巻き込まれますが、1475年には厩橋城(まやばしじょう)が現在の群馬県庁一帯に築城され、戦国時代に関東に進出した上杉謙信の拠点になりました。

群馬県庁

江戸時代には厩橋城の城下町として栄え、生糸の貿易が盛んになる後期になると時代の趨勢に合わせた生糸の生産量の高さと質の良さで注目されました。明治維新の後には機械製糸工場の建設が進み生糸の代表的産地となります。
1881年には群馬県庁が前橋に置かれ、1892年に市制が施行されると同時に下村善太郎氏が初代市長に就任。大正時代の好景気時代を経て昭和に入り鉄道や道路など交通網が発達する中、太平洋戦争の1945年の前橋空襲により街の80%が消失。戦後になり徐々に生糸産業が振るわなくなる中で復興をとげ、生産都市への転換や都市改造などを経て現在の前橋の姿へと発展してきました。